南禅寺の近くに「野村碧雲荘」という別荘があります。
ここは旧野村財閥の創業者である野村徳七(二代目)が
11年の年月をかけて完成させた邸宅です。
今回、京都文化財団主催の見学会に行く幸運に恵まれ(倍率6倍だったらしい)、
中を見学してまいりました。
(この公開は4年に1度だそうです。)
中は撮影禁止だったため、中のお庭や建物の写真はありません。
ー 以下、備忘録 ー
敷地は約6千坪で、お庭は7代目小川治兵衛父子によるもの。
このお庭が素晴らしかったです。
南禅寺山(東山)を借景に、琵琶湖疏水からひいた大きな池があり、
優雅に白鳥が泳いでいました。
奥には三段の滝があり、そこに琵琶湖疏水の水栓があって水量を調節するそうです。
ふだんは1時間に72tの水が流れているらしいです。
琵琶湖からの水なので、流れに混じって蜆、カラス貝、カワニナなどがいるそう。
6月には蛍も飛び交うとか。
橋は人工的な石橋、石橋、土橋がかかり、その周囲には9つの茶室がありました。
石橋と石橋の間に、丸い囲いがあり、そこには半夏生が植えられているそう。
夜になると、それがまるで満月が浮かんでいるように見えるのだとか。
9つの茶室のうち、特徴的だったのは、蘆葉舟(ろようしゅう)という
屋形船形の茶室があったこと。
お船の茶室とは、これまた風流でした。
又織庵(ゆうしきあん)という茶室は、燕庵(えんあん)を模して作っているそう。
(野村徳七は薮内流であったらしい。茶号は「得庵」)
茶室の前のつくばいが「出水の酒船石」。
これは飛鳥から持ってこられた石なんだそうですが、
飛鳥のほうは現在レプリカが置かれているそうです。
↓ これ
今の時代だったら、こんな遺跡を持って来るなんてことは不可能ですが…^-^;
あと、保津川から持ってきた巨石もありました。
重すぎるためにいくつかに分割したつなぎ石になっているそうです。
中書院の南側には立礼の茶室「鷺序(ろじょ)」がありました。
この茶室の屋根には、なぜか鴟尾が…。
大書院は四条派絵師の豊島停雲による花鳥図襖絵。
「碧雲荘」という扁額は久邇宮邦彦王によるもの。(1ヶ月ここに滞在されたらしい)
能舞台背面の松の絵(豊島停雲、作)は、屋久杉(樹齢千年)の一枚板に描かれてある。
床下を見ると、音の響きがよくなるよう16コの瓶が埋められている。
置かれている像は勧進帳の安宅の関。
応接セットは久邇宮邦彦王がお泊りになったときのもの。
大玄関の壁面に描かれている幾何学文様は香道の源氏香模様。
向かって右が「蛍」、左が「若菜上」を表しているらしい。
三段の滝の前の橋にもこの模様が描かれていました。
石灯籠は全部で58あり。
そのなかでも一番高価なのは「濡れ鷺灯籠」
これは金沢の銭屋五平兵衛から譲り受けたもので、
この灯籠の値段だけで何軒もの家が建つほどだとか。
植物について。
大きなしだれ桜、
上り藤(株をあつかっていたので、下がり藤じゃなくのぼり藤にしたらしい。)
高麗芝が植えられているところはガーデンパーティーが催される。
ー 外から撮った写真から ー
馬酔木は防虫効果があり。赤松の防虫対策だそう。
この馬酔木は、道路から見える外庭のもの。確かに松とセットになってますね。
不老門。
茶会などの会合時に正式な入場門として使用。
天皇陛下もこちらから入られたとのこと。
門から続く板塀は和船の船板を使用したものだそうです。
東門。 1間薬医門、切妻造り。
嵯峨二尊院の台所門を移築したものだそうです。(築500年だそう!)
西門と外庭。
(おまけ)
6月には花菖蒲が美しく咲き乱れます。(2012年撮影のもの)
kazenonakanotabi.hatenablog.jp
ー☆ー
今回は貴重な見学の内容を、忘れないうちにこちらにメモりました。^-^
(検索エンジンかからないよう、こちらに。)
また思い出したら追記するかも…です。
それにしても…野村財閥の財力、すごいなぁ…と感心しきりの1時間でした。^-^;;
この見学のあと、野村美術館にまいりましたが、
それはまた京の小径のほうにでも記したいと思います。
↑ DVDの表紙、野村碧雲荘のお庭ですね。
東山の借景、お池にはスワン、そして建物は羅月(らげつ)という観月台。
植治七代目小川治兵衞―手を加えた自然にこそ自然がある (シリーズ京の庭の巨匠たち)
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碧雲荘の庭のほか、小川治兵衛が手がけたお庭たち。